伏線の面白さを知るには
伊坂幸太郎作品を読むしかない。
ということで、
ついにこの本。
伊坂幸太郎
『アヒルと鴨のコインロッカー』
(2003年)
![]() | アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫) 700円 Amazon |
この本で初めて
伊坂ワールドに触れましたが
これは素晴らしかった。
以下その感想を……。
あらすじ
<現在>
「僕」は椎名(しいな)。
東北の大学に入学するため、
この4月に
関東から引っ越してきた。
僕が住むことになったアパートは、
木造二階建ての古い建物で
中央に階段があり
左右に2部屋ずつの計8部屋しかない。
隣人に挨拶しようと
チャイムを押したが誰も出なかった。
逆に僕のいる105号室に
挨拶に来たのは
尻尾の先が曲がった一匹の黒猫。
開いた窓から入ってきたので
なんとか捕まえて外に出す。
外に出てダンボールを片付けながら
ボブ・ディランの「風に吹かれて」を
口ずさんでいると、
103号室の前に立つ男に
声を掛けられた。
細くて背が高い、
日焼けして全身黒ずくめの男。
なんだか悪魔みたいな印象を受けた。
彼は「ディラン?」と聞いてきたので
僕は「ディラン」と返す。
「うちに来いよ」と言うので
103号室にお邪魔することに。
彼は河崎(かわさき)と名乗った。
「誰かが来るのを待っていたんだ」と言い、
引っ越し祝いに赤ワインで乾杯する。
さっきの黒猫は
シッポサキマルマリという名前らしい。
そして、
このアパートには僕たち以外に
外国人が一人住んでいるそうだ。
その外国人はアジアからの留学生で
101号室に住んでいる。
一昨年前、恋人と別れてから
部屋に閉じこもって塞ぎこんでいるらしい。
そこで河崎は彼を元気付けるために
辞書をプレゼントしたいと言う。
辞書は厚くて立派なやつがいい。
「広辞苑を奪ってやるんだ」
聞き間違いかと思った。
「何をどうするって?」
河崎は続ける。「広辞苑を奪うんだ」
僕は言葉を失った。
「一緒に本屋を襲わないか?」
<2年前>
「わたし」は琴美(ことみ)。
ペットショップに務めている。
今わたしは
店から逃げた黒い柴犬クロシバを捜しに、
ブータンから来た留学生の
キンレィ・ドルジと一緒に町を歩いていた。
ドルジとは半年前に
ふとした出来事がきっかけで出会った。
そこで彼を助けて付き合うようになり、
わたしのアパートに同棲している。
ドルジは大学の研究室で勉強しているが
片言の日本語しかしゃべれないので
わたしが英語でコミニュケーションをとりながら
日々、日本語を教えている。
夕方になってもクロシバは見つからず。
そのうちに、
わたしたちの横を通り過ぎた車が
曲がり角で猫を轢いていく現場に遭遇した。
可哀想に……。
わたしたちは猫の死体を埋めてやろうと
公園の林の中へ入る。
死体を埋めて帰ろうとした時、
笑い声が聞こえた。
男が2人、女が1人近づいてくるが
こちらにはまだ気付いていない。
「あの猫、最高だったね」
猫をペンチでいたぶるとか、
足を切るという言葉が聞こえる。
どうやら動物を虐待して楽しんでいるらしい。
怒りが沸いてくるわたし。
3ヶ月前から市内で
猫や犬などのペットが
皮をペンチではがされたり
眼球を取り出されて
河原やゴミ箱に捨てられるという
ペット殺し事件が続発している。
殺人事件ではないので
警察もそこまで熱心に捜査していないが、
こいつらが犯人なのか?
テレビで飼い主が泣いている姿を
すげえ不細工だと笑う3人組。
間違いない。こいつらだ!
その時、3人がわたしたちに気付いた。
「お前ら何してるんだよ」
<現在>
僕は
「本屋に行って広辞苑を買えばいいじゃないか」
と言うと河崎は
「本屋から広辞苑を奪ってもいいだろ?」と
平然と言い返す。
いやそれは犯罪だ。
「本屋を襲って奪った広辞苑が欲しいんだ」
もう訳がわからないよ。
作戦はこうだ。
襲撃は閉店間際を狙う。
本屋の中には河崎が一人で入る。
僕の仕事は
裏口でモデルガンを持って
ドアの前に立ち、
「風に吹かれて」を10回歌うこと。
1回が3分だから30分経過の目安になる。
2回歌うごとにドアを蹴ること。
裏口から逃げれないぞと教えるために。
裏口に見張りを置く理由は
店員を逃がしたくないからだという。
逃げてくれた方がいいのに?
「裏口から悲劇は起きるんだ」
ああそうですか……。
こうしてわけもわからないまま
僕は本屋を襲う手伝いをすることになった。
いったい河崎は何を考えているのか?
ところが盗んできた本は
「広辞苑」ではなく
なぜか「広辞林」だった?
他人と関わらない
ペットショップの店長の麗子さんの
2年間の変化とは?
ペット殺しの犯人に目を付けられた琴美。
琴美とドルジの
身に迫る悲劇の予感。
ドルジは琴美の元彼・河崎に助けを求めるが
河崎はある秘密を抱えていた……。
そして、
現在と2年前の物語が
ひとつに繋がる。
2年前の物語は
まだ終わっていなかった―――。
解説
「一緒に本屋を襲わないか?」
東北の大学に入学するため、
引っ越したアパートで出会った
悪魔のような印象の男・河崎。
彼にそそのかされて
本屋から広辞苑を奪うことになり、
僕は裏口のドアを見張るという
奇妙な役割を与えられた。
2年前のペット殺し事件と
現在の物語が繋がり、
驚愕と切なさが押し寄せる
青春ミステリー。
伊坂幸太郎の長編第5作。
第25回吉川英治文学新人賞受賞作。
「このミステリーがすごい!2005年」第2位。
「週刊文春2004年ミステリーベスト10」第4位。
2004年本屋大賞第3位。
物語は
「現在」パートの椎名と
「2年前」パートの琴美の
2人の男女の視点が交互に入る
カットバック形式で進む。
「現在」の物語の中心は
河崎という悪魔めいた男が
本屋を襲って広辞苑を奪うという謎と、
椎名の鍵のかかった部屋から
教科書が忽然と消えるという謎の2つ。
「2年前」の物語は
ペットショップ勤務の琴美と
その恋人でブータン人のドルジが
ペット虐殺犯の恨みを買い、
彼女たちの身に忍びよるサスペンスが中心。
そこに琴美の元彼の河崎が
何かと琴美の前に現れては
物語に関わってくる。
現在と2年前の
冒頭と結末の文章構成を
似せている遊びは面白い。
文体もユニークで
思わずクスッと笑ってしまう。
「裏口から悲劇は起きるんだ」や
「神様には見えないところに
閉じこもってもらえばいい」などの
一見わけのわからない
言葉のセンスが凄い。
ブータンの信仰や風習、
因果応報や生まれ変わりの概念などが
物語の良いスパイスになっている。
ボブ・ディランの「風に吹かれて」と
「ライク・ア・ローリング・ストーン」の曲も
重要な役割を果たしている。
ミステリーとして完成度の高い作品。
欠点としては……
●琴美の行動がアホすぎて
イライラさせられる。
言葉にも棘がある。
●ペットが殺される描写は少ないが
どうやって殺したとかの
残酷な台詞があるので
胸糞悪くなる人は注意。
●お客を殴るのは
さすがにどうなの?
●どんでん返しは驚くが
その必然性は薄く感じる。
●タイトルの「コインロッカー」は
最後に登場するが
無理に絡めるために出したようで苦しい。
出す順番が逆でしょう。
それなら本屋を襲う前に出すべき。
●ラストどうなったか
はっきり描いてないので
読後モヤモヤしたものが残る。
俺の感想
これが伊坂幸太郎か。
なるほどベストセラー作家だけある。
なんといっても
伏線回収がすごい。
そこがそう繋がるのかと感心しきり。
椎名の心の中で言うツッコミが好きで
俺もよくこういうツッコミ入れるので
なんか共感してしまった。
物語も奇妙な始まり方で
ぐいぐい引き込まれた。
伊坂作品はなんか合いそうな予感。
どんでん返しは
それ系のトリックが使われているなら
俺ならこうするだろうと予想したのが
実は当たってしまったけど、
それでも上手い仕掛け方だったので
高く評価しています。
ボブ・ディランの
ノーベル文学賞受賞後の
タイミングで読んだけど
それは全く頭になかった。
いやボブ・ディラン興味ないもんで。
どんでん返しも凄いが、
「裏口に立たせる理由」と
「なぜ本が消えたのか」の謎は
とくに優れている。
個人的には
「アピールの発音が綺麗で
うっとりした」という伏線が好き。
謎を解く探偵役がいるわけでもないので
全体のインパクトはやや弱め。
最終的に物語の中心人物が
次々といなくなるので
読後は切なくなってしまう。
でも最初の
伊坂ワールドの入り口としては
この作品で良かったと思う。
とにかく面白かったです。
★★★☆☆ 犯人の意外性
★★★☆☆ 犯行トリック
★★★★★ 物語の面白さ
★★★★★ 伏線の巧妙さ
★★★★☆ どんでん返し
<ストーリー>
笑える度 ○
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 △
総合評価(10点満点)
9点
-----------------------------
※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰り下さい。
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●物語の結末
○被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
①琴美 ---●江尻、ほか2人 ---障害の除去【衝突死:車】
②(未遂)江尻 ---●キンレィ・ドルジ ---復讐【衰弱死(未遂):林の中】
結末
2年前、ペット殺しの居場所に
踏み込んだ琴美だが
犯人の逃げる車に撥ねられて死亡する。
犯人の3人のうち
2人はその時死亡したが、
江尻だけ生き残った。
復讐計画を練る河崎とドルジは
江尻の親が経営する本屋を
襲うことに決めたが
エイズに感染していた河崎は自殺し、
ドルジが一人で後を継ぐ。
その後、河崎として現れたドルジは
椎名を協力させて本屋を襲い、
江尻を負傷させて
林の中で縛りつけ、
カラスの餌にしようとしていた。
真相を見抜いた麗子が
ドルジに自首を勧めるが
生まれ変わりを信じる彼は
神様を閉じ込めたコインロッカーを後にし、
琴美の待つ場所へ……
●叙述トリックの解説。
※水色はミスリード、紫は伏線です。
この物語に登場する
「河崎」は
現在と2年前では別の人物である。
2人を同一人物と錯覚させる叙述トリック。
それが読者に
明かされるのがこの場面だ。
“「隣の隣の部屋っていうのは、この部屋のことだ」
これが手品だとしたら、僕は礼儀としての拍手を忘れたことになる。
「俺の名前は、キンレィ・ドルジ。ブータンから来たんだ」
「そこ」僕は、河崎のその言葉をぼんやりと聞きながら、「遠い国なんだろうね」と間の抜けた台詞を口にしていた。”(P.289)
「2年前」の河崎は本物。
背の高い二枚目で
女にモテまくる。
琴美の元彼。
「現在」の河崎はキンレィ・ドルジ。
河崎から日本語を教わって
①1年半ですっかりペラペラになっていて
片言の日本語だった頃の影も形もないから
別人だと気付くのは難しい。
②2年前の河崎の台詞を
現在の河崎(ドルジ)は多く引用し、
③ボブ・ディランが好きなことや
④椎名が河崎を
ボブ・ディランに似ている(P.107)と
言うので男前にイメージさせられ、
⑤河崎(ドルジ)は自分で
「女たらしが罹る病気になった(P.53)」と言い、
本物は女たらしだし、
⑥2人とも奇抜な行動
(自転車を蹴る、など)をとるので
同一人物だと錯覚させられる。
もちろんオトリのドルジが
現在にいるのもポイント。
⑦101号室に
アジアの留学生が住んでいると
教えてもらったが
そう言ったのは河崎(ドルジ)だけ。
日本人そっくりのブータン人なので
見た目だけで疑われることがなかった。
その外国人が
⑧2年前に恋人と別れて
閉じこもっているという状況が
2年前の琴美とドルジに
訪れる不幸を連想させて
さらにミスリードを補強している。
現在パートで琴美だけが
いっこうに出て来ないため
琴美の安否の方に目線がいってしまい、
河崎の正体の目くらましになっているのは
上手いやり方です。
細かなミスリードでは、
⑨2年前のドルジが広辞苑を
欲しがっている(P.135)から
現在の河崎がプレゼント
したいのだろうと思わせるし、
⑩河崎が動揺すると
目が泳ぐ癖があって(P.131)、
それを河崎(ドルジ)も真似している。(P.51)
など。
ではこの叙述トリックを見破る
伏線はあったのか?
まず2人の外見が
どのように描写されているか
比べてみよう。
①「現在」の河崎(ドルジ)は
背が高く肩幅はなくて細め、
短めの髪に日焼けした肌。
鼻が高く、口は横に広い。(P.15-16)
一方の「2年前」の河崎は
中世的な顔立ちで目が大きく、
くっきりした眉毛、
柔らかそうな髪。(P.91)
→どちらもイケメン風ではあるが、
顔の特徴で一致する部分が
ひとつもないのは注目ポイント。
②「シャローンの猫」のくだりを
話し終えたあと、
ほっとしたような表情を見せる。
“「二人は別れました」河崎は、お伽噺を丁寧に終わらせるかのように、丁寧な言葉遣いで言った。「マーロンが怒ったんだ。で、マーロンと猫は仲良く暮らしました。とさ」
「ふうん」
話し終えた河崎はどこかほっとしたような、それでいて誇らしげな顔になった。満足感を見せていた。「それと同じだ」河崎が言ったので、僕は慌てた。
「な、何が何と同じ?」”(P.50)
→ドルジが河崎から日本語を習っている時、
これを言えたら合格と言われたのが
この「シャローンの猫」だった。(P.300)
上手くしゃべれてほっとしたのだ。
③アピールの発音が綺麗で
うっとりしてしまう。
“「それは」河崎はそこで理由を探すように、目をきょろきょろさせた。「店員が逃げて、警察を呼ばれたら面倒だ。だから、外にも仲間がいるのをアピールしておきたい」
彼の、「アピール」という声がとても綺麗で、僕は思わずうっとりした。”(P.51)
→だって英語ペラペラの
外国人ですから。
そりゃ発音は綺麗です。
④ドルジは日本語が読めない。
しゃべることだけが上手。
“実際、ドルジは日本語を学ぶ際も、テキストやノートの日本語を読んで確認することをせず、ただ、耳で聞いて口で唱える、というやり方を好んだ。”(P.40)
→そのため、
椎名から電話がかかって
参考書のタイトルを読んでくれと言われた時、
日本語が読めないドルジは困った。
そこで本を全部隠して
誰かが入って盗んだことにするという
大きなミスをしてしまった。
⑤ドルジが日本語を読めない伏線は
「広辞苑」と「広辞林」を間違えて
持って帰ったことからもわかる。
→「広辞」まではなんとなく読めたと
いうことだろうか。
⑥新聞をとっていない(P.20)のに、
本屋を襲った翌日だけ
新聞がある(P.171)ことも
文字が読めない伏線。
→事件のことが出ていないか
心配になったから
シッポサキマルマリのくじで
当選番号を調べるついでに
記事を読んでもらいたかった。
⑦2年前の河崎は
女をいつも連れて
歩いているような印象だが
現在の河崎には女の影すらない。
⑧河崎(ドルジ)が乗り回している車が
友達の車(P.136)ということや
免許を持っていない(P.141)こと。
→おそらく本当に免許は持っていない。
日本語も読めないので無理。
標識すら何のことだか
わかっていないだろう。
河崎が言う台詞で印象深い
「楽しく生きるには二つのことだけ
守ればいい」の話は、
琴美が河崎に言った台詞だが、
⑨“これは日頃から、
ドルジにも言っていることだった”(P.259)と
予防線を張ってある。
後になってわかる
⑩裏口に神経質になる様子は
琴美を死なせたトラウマが原因だ。
→裏口から逃げられたために
悲劇は起こってしまった。
⑪「隣の隣は外国人」という
言葉遊びのような伏線も入っている。
→ここ(103号室)から見て
隣(102号室)の、隣(101号室)ではなく
ここ(103号室)も隣だよということ。
●その他の伏線解説
河崎(ドルジ)が犯人である伏線は
河崎の靴が泥だらけだった(P.173)ことが重要。
上記のいつも新聞がないのに
急に新聞があることも証拠。
琴美が悪い奴にやりたがっていた
鳥葬(ちょうそう)(P.30)を
代わりに実行しようと
していたことは泣かせる。
レッサーパンダを盗む相談をしていた
少女と車椅子の少年が
本当に計画を実行してしまった(P.338)が、
ドルジは自分と重ねたのか
涙混じりに笑った。
お互いに2年かけて計画を
やり遂げたからだろう。
ちなみにラストに横切る
黒い柴犬は
2年前に行方不明になったクロシバ。
曲がった鼻(P.26)が一致している。
首輪はしていないので
今も野良犬のようだ。
タイトルの「アヒルと鴨」は
似て非なるものの例え。
鴨の中でも、
家畜化されたマガモを家鴨(アヒル)という。
どちらもカモ科の生物で
人間が勝手に呼びわけている。
外国人と日本人。
河崎と椎名。
ドルジと琴美。
ドルジと河崎。
生まれた場所と外見は違えど同じ人間だ。
とすれば
神様とボブ・ディランも
そうたいした違いはないのかもしれない。
そういう意味が含まれていると思う。
そして
「神様」をボブ・ディランで代用して
コインロッカーに
ボブ・ディランのCDを閉じ込める。
ブータンでは
本物の代わりに儀式として代用品を使う。
ボブ・ディランを神様と言ったのは河崎だ。
“「人を慰めるような、告発するような、不思議な声だろ。あれが神様の声だよ」河崎は人差し指を立てた。”(P.134)
そして神様を閉じ込めておけば
悪いことをしてもばれない、
と言ったのは琴美だ。
“「(それならさ、神様には見て見ぬふりをしてもらえばいいって。緊急事態だから。神様にはどこか見えない場所に閉じこもってもらえばさ。<中略>とにかく面倒だからさ、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」”(P.70)
ドルジは神様(ボブ・ディランの歌)を
コインロッカーに閉じ込めた。
これで全部なかったことにしたいと
願いを込めて―――。
●冒頭と結びの文章の遊び
同じ番号の「現在」と「2年前」では
書き出しと終わりがシンクロしたように
似せて書いてある。
◆一の冒頭
現在
“二日前、この町に引っ越してきたばかりの僕は、まず猫に会い、その次に河崎に会った。
アパートの呼び鈴を指で押すと、「ピン」という軽快な響きが聞こえた。離すと今度は「ポーン」という長い音が鳴る。”
2年前
“その時、行方不明の犬を捜していたわたしは、まず轢かれた猫に会い、その次にペット殺しの若者たちに会った。
わたしの横を、常識外れの速度で通り過ぎた紺のセダンは、「きぃ」というブレーキ音を鳴らして、左のカーブを曲がり姿を消すと、「どん」という短い音を立てた。”
◆一の終わり
現在
“教訓を学んだ。本屋を襲うくらいの覚悟がなければ、隣人へ挨拶に行くべきではない。”
2年前
“教訓を学んだ。立入禁止の場所に侵入する時には、それなりのリスクを覚悟しなければならない。”
◆二の冒頭
現在
“「お、教えてほしいんだけれど」僕は、動揺と訝しさのないまぜになった声を出した。”
2年前
“「おまえら、何やってんだよ」長髪の男は、訝しさとからかいの中間くらいの声を出した。”
◆二の終わり
現在
“自分の部屋の鍵を開けながら、101号室の外国人にどんな出来事があったんだろうか、と想像をしてみた。”
2年前
“自分の部屋の鍵を触りながら、あの若者たちは本当にペット殺しなのだろうか、と想像をしてみた。”
文字数が限界なので割愛しますが
このように似た文章になっているので
比べてみるのも面白いです。
●名言まとめ
外国人に辞書を
プレゼントしたいと言う河崎。
その方法とは……
“「広辞苑を奪ってやるんだ」
河崎の言葉が耳に飛び込んできた。はじめは聞き間違いかと思った。
「何をどうするって?」
彼は鼻を広げ、いくぶん興奮を見せながら、口の端を吊り上げた。「広辞苑を奪うんだ」
言葉を失った。床が抜けて、自分だけが宙に浮いているような、取り残されている感覚になる。顔の皮膚に細かい震えが走るのが分かった。
「というわけでだ」彼はさらにつづけた。「一緒に本屋を襲わないか」”(P.24)
本屋を襲うのは法律違反だと言うと……
“「こういう言葉を知ってるか?」河崎が得意げに言う。「『政治家が間違っている時、その世界の正しいことはすべて誤っている』」
「え?」
「今、日本の政治家は正しいか?」
「僕には選挙権がないけど」
「政治家は正しくない。つまり法律は間違ってる」”(P.47)
椎名は「裏口から逃げられても
悲劇が起きるほどじゃない」と反論する。
“河崎は目を一瞬だけ、伏せた。「裏口から悲劇は起きるんだ」と言った。
ああ、そう。僕が聞き流すと、彼はもう一度、「裏口から悲劇は起きるんだ」と繰り返した。
ああ、そうですか。”(P.51)
ペット殺しの若者を撃退する時
傷つけたことを後悔するドルジ。
“「(善いことも悪いことも、やったことは、全部自分に戻ってくるんだ。今は違っても、生まれ変わった後で、しっぺ返しがくる。こういうのはよくないんだ)」(P.70)
決行は明日と言ったのに
前日にやってきて「さあ行くぞ」と言う河崎。
“「生きるのを楽しむコツは二つだけ」河崎が軽快に言った。「クラクションを鳴らさないことと、細かいことを気にしないこと」
「無茶苦茶だ」
「世の中は無茶苦茶」河崎は心から嘆き悲しむかのようでもあった。「そうだろう?」”(P.115-116)
河崎は自分のルックスの良さを
有効に利用すべきと言う。
“「鼻の長い象は、鼻をホース代わりに使う。キリンは高いところの木の実を食べる。アリクイはあの口だから、蟻を食う。ようするにさ、授かった能力は使わなくちゃ駄目だってことなんだ。俺は見てのとおり、外見に恵まれた。それなら、この世の中の女という女に声をかけて、可能な限りセックスをするべきだ。そう思わないか?」
「絶対に思わない」わたしは断定した。「絶対に」
すると彼は退く様子もなく、逆に胸を突き出すようにして、「あのさ、『政治家が間違っている時、その世界の正しい事はすべて誤っている』という言葉を知らないか?」と言ってきた。
「知りたくもない」
「つまりさ、間違っているかどうかなんて、一概には決めつけられないってことだ」”(P.94)
ブータンには殺人は少ない。
それは因果応報を信じているからだ。
“「河崎さん、信じますか?」ドルジが首を伸ばすようにして、訊ねた。宗教を信じるか、という問いかけだったのだろう。
「俺はね、目に見えないものは信じないことにしてるんだ」”(P.98)
困っている人がいたら助ける。
道がなければ作ると言う琴美に……
“「道を作るのは、政治家の仕事だ」”(P.99)
無表情だった麗子さんが
笑顔を見せる場面。
“「わたしはね、ずっと他人のことなんてどうでも良かったんだけど」麗子さんは、自分が笑ったことに取り乱した様子もなかった。すでに、いつもの冷血の顔に戻っている。「でも、琴美ちゃんがいなくなって、河崎君がいなくなって、最近は、少しずつ考えが変わってきた」
「分かる」河崎が間髪を容れずに同意した。
「助けられる人は助けたい」麗子さんの口調は、相変わらずの一本調子ではあった。「そう思うこともある」”(P.349)
3人で動物園で撮った記念写真。
その裏に書かれた河崎の言葉。
“『さっさと生まれ変わって、また女を抱くよ。と言うよりも、本当に生まれ変わるんだろうな、ドルジ?』
●気になる欠点
高く評価している分、
どうしても気になる部分はある。
まず、タイトルにもなっている
コインロッカーの登場が遅い。
神様を閉じ込めて、
犯行を見逃してもらいたいのなら
本屋襲撃の前にやらないと意味が無い。
ばっちり見られてから閉じ込めるのか?
河崎がHIVに感染し、
付き合った女がエイズで死亡したから
それを苦に自殺した。
河崎は性格的に
自殺を選びそうでないし、
本屋を襲う前に人生を諦めるだろうか?
椎名に対して
ドルジが河崎の名を騙ったのも
必然性が感じられなかった。
河崎に憧れていたのはあるだろうが、
101号室の男を外国人にしてまで
素姓を隠す必要はないだろう。
ドルジが命を狙われているとかなら
存在を消す理由もわかるのだが。
ただ叙述トリックで
驚かせたいだけという印象。
琴美の危機管理の無さにうんざりした。
ドルジが河崎に
説明しようとするのを止めたり、
警察に行かなかったり、
留守電消したり、
襲われた後も何事もないふりをしたり
物語の都合上そうなっているにしても
読者の方がイライラしてしまう。
●最後はどうなったのか?
この物語のラストは少し切ない。
椎名は地元に戻り、
東北に帰ってきたとしても
河崎(ドルジ)には
もう会えないだろうと思う。
琴美が死の間際に
未来の予知した光景によれば、
ドルジはコインロッカーを後にして
車道のポメラニアンを助けようと
車の流れに飛び出してしまう。
最初に琴美と出会ったあの時のように。
それでも後悔はない。
死んでも生まれ変わる、
そう信じていたからだ。
琴美も河崎も
ドルジも死んでしまい、
2年前から続いていた物語は
こうして幕を閉じた。
3人が天国で再会できることを
願わずにいられない。