『連続殺人鬼カエル男』から。
『さよならドビュッシー』
中山七里2010年
さよならドビュッシー (宝島社文庫)/宝島社
¥607
Amazon.co.jp
Amazonレビュー★3つが示すように
賛否両論の地雷作品。
不満部分は後で詳しく書きます。
あらすじ
「あたし」香月遥(こうづきはるか)は、
15歳の中学三年生。
従姉妹の片桐ルシアと一緒に
今日もピアノのレッスンを受けている。
2月のある日、
ピアノ教師の鬼塚先生から
岬洋介(みさきようすけ)さんを紹介された。
岬さんは新進気鋭のピアニストで
まだ20代前半でハンサムな顔立ち。
あたしとルシアはひと目で
岬さんを好きになってしまった。
ルシアは叔母・片桐玲子(旧姓:香月)の娘で
叔母さんは
片桐さんと結婚してすぐに
仕事の都合で
インドネシアに転勤して帰化した。
ルシアはインドネシアで生まれたが、
日本人学校で育ったので
日本語を問題なく話せる。
片桐家は年末に一家で
香月家に帰ってくるのが習慣だった。
それが今年の年末、
叔母さんたちに急な仕事が入り、
ルシアだけ先に日本へやって来た。
その直後の12月26日、
インド洋を震源とする
スマトラ島沖地震が発生し、
ルシアの両親は犠牲になり、
帰らぬ人となってしまった。
帰る場所を失ったルシアを
香月家が引き取ることになり、
4月から音楽系の高校へ進むあたしと
一緒にピアノを習っている。
ルシアは音楽の才能があり、
あたしより上手い時があった。
香月家は荒薙神社を抜けた先の
高台に建っている。
香月家が財を成したのは
玄太郎お爺ちゃんのおかげで、
お爺ちゃんは口は悪いが
頭が良くて人に厳しい。
あたしたちが家に帰ると
いつものように
研三(けんぞう)叔父さんを
叱っていた。
研三叔父さんは
あたしの父・香月徹也の弟で
金に困らない家庭に育ったため
30歳をすぎた今も無職で
親のすねをかじっている。
玄太郎お爺ちゃんの悩みの種だ。
父の会社も合併問題で揺れていて
ルシアを養女にする話も
経済的に苦しく
簡単にいかないらしい。
そのうえあたしが
4月から私立の音楽系高校に通うので
学費が公立の7倍くらい高い。
コンクールで入賞して
授業料を免除してもらわないと苦しい。
なかなかプレッシャーだ。
お爺ちゃんは2年前に
脳梗塞を患い、
一命は取り留めたものの
下半身に麻痺が残り、
車椅子で生活している。
家政婦兼介護士の
綴喜みち子さんが
お爺ちゃんのお世話をしている。
ある日、
両親が実家へ帰省し、
研三叔父さんも外泊。
みち子さんも帰った後、
家に残ったのは
玄太郎お爺ちゃんとルシアと
あたしの3人だけになったので、
その夜は
お爺ちゃんの住む「離れ」に
泊まることになった。
突然、
粘膜を突きさすような痛みと
熱さで眠りから醒めた。
火事!?
煙でむせる。
ドアを開くと
一気に空気が流れて
吹き飛ばされる。
お爺ちゃんは?ルシアは?
お爺ちゃんの工房のドアを開ける。
火に包まれた車椅子が見えた。
爆風で押し戻されたあたしは
骨折して動けなくなった。
パジャマが燃え、
皮膚が焼ける。
ルシアも火に包まれて
のたうちまわっている。
そして、天井が落ちてきて-----。
意識を取り戻したあたしは
病院のベッドに寝ていた。
全身大火傷だったが、
奇蹟的に一命を取り留め、
皮膚を移植して
回復を待っているところだ。
しばらくして
耳が聞こえるようになった。
誰かの声が聞こえる。
「遥?お母さんの声が聞こえる?」
お爺ちゃんとルシアは
助からなかったと告げられた。
顔は遥の写真から
元通りに復元できたが
声は気道を損傷して
カエルの潰れたような声に・・・。
あたしは涙が止まらなかった。
苦しいリハビリの末、
退院したあたし。
しかし
以前のようにピアノが弾けない。
絶望の淵にいたあたしを
岬先生が救ってくれる。
動かなかった指が
動くようになる。
その矢先に
遥の周りで起こる
不可解な出来事。
そしてついに死亡事故まで
発生してしまう。
犯人は誰か?
ハンデを乗り越えて
ピアノコンクールに出場する遥。
その先に
何が待つのだろうか-----。
解説
火事で祖父と従姉妹を失い、
一人生き残ったが
全身大火傷の後遺症で
まともにピアノも弾けないヒロインが、
天才的なピアニスト岬洋介と出会い、
懸命のリハビリの末、
コンクールの舞台に立つまでを描く
音楽青春ミステリー。
岬洋介シリーズ第1作。
第8回「このミステリーがすごい!大賞」
大賞受賞作。
中山七里のデビュー作品。
主人公の香月遥は、
私立高校の音楽科に
入学する直前、
火事に巻き込まれて
一人生き残ったが
全身大火傷の重体に陥る。
祖父と従姉妹は死亡し、
着ていたパジャマから
母親が遥と断定。
写真をもとに
皮膚を移植して顔は復元できたが
表に見えない身体はつぎはぎだらけ。
おまけに声は低く潰れてしまった。
ピアノを弾く指も
思うように動かず、
数分しかもたない。
絶望していた遥を
救うのは
天才ピアニスト岬洋介。
自身も左耳の難聴を抱えながら
トップレベルに上り詰めた。
独自のやり方で
遥にピアノレッスンをする。
ミステリー要素は少ない。
殺人事件が起こり、
その犯人も意外性はあるが
ややこじつけ感がある。
謎を解く探偵役も岬洋介。
父親が検事正で
洋介も法の道に進むと思われたが
ピアニストを目指した。
物語の序盤から
鋭敏な推理力を発揮する。
最大の見どころである
ピアノ演奏の場面は
表現力豊かで
文章に迫力がある。
メイントリックはさすがに
わかりやすいので評価できない。
欠点としては・・・
●難しい言葉を使いすぎ。
漢字変換できる言葉を
全部変換しているっぽい。
●恩着せがましい外科医の言い方や
マスコミの対応のひどさや、
「あんたこそ報道の自由を
妨害するのか!」発言や、
三人娘のイジメ方など、
ありえない行動と発言がひどい。
リアリティが無いし、
作者の極端な悪役の作り方が
どうにも気にいらない。
●神社の場所と距離がわからない。
地図がないからアンフェアに感じる。
●「例の遊び」の言い訳が苦しい。
そもそも〇を〇〇する必要性が無い。
「生理用品を買いに~」も
とってつけたような言い訳。
(ネタバレで詳しく解説します)
●現代で
このようなこと(メイントリック)は
まずありえない。
回復速度も異次元。
炭化した身体がまともに動かせますか?
それでいて顔は元通りって。
医学的にありえない。
たった2ヶ月で松葉杖で歩けるほど
回復はしません。
●P.146の伏線に凡ミスがある。
●ピアノシーンが長い。
表現力は素晴らしいが
内容が抽象的すぎて
素人が理解できない言葉を
ただ並べただけのように思える。
●感情移入して読んだ読者を
裏切る結末は後味が悪い。
●どんでん返しがバレバレ。
●作者が台詞で自分の主観を
押しつけすぎてウザい。
説教ジジイになっている。
俺の感想は・・・
苦笑い。
これは、
あらすじを読んだ瞬間に
「アレかな?」と思った。
セバスチャン・ジャプリゾの
『シンデレラの罠』です。
あちらは
全身大火傷の主人公が
記憶喪失になっていて、
自分が誰なのかわからなくて
記憶を手繰りながら
二転三転する。
こちらは、
自分が誰か?という部分を
あっさり「遥」と明かして
主人公もそれについて
全く気にせず、
ピアノコンクールの方に
集中してしまう。
「自分が誰か?」を
前面に押し出してこないため
音楽テーマのスポ根ドラマだと
普通の読者は読んでしまい、
ミステリファン以外は
この見え見えのトリックに
まんまと引っ掛かる
・・・ということらしい。
「どんでん返しがある」ことも
警戒してしまう原因だ。
妻夫木くん、
「どんでん返しがあってね」じゃないよ。
それ言っちゃ駄目なやつだよ。
ミステリではなく、
青春ドラマとして完成させた方が
すっきりとして
よかったように思う。
★★★★☆ 犯人の意外性
★★☆☆☆ 犯行トリック
★★★☆☆ 物語の面白さ
★★★☆☆ 伏線の巧妙さ
★★☆☆☆ どんでん返し
笑える度 -
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 -
総合評価(10点満点)
6.5点
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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。
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※ネタバレを見てはいけないと
書いてあるのに
ここを見てしまう「未読のあなた」
あなたは
犯人に最初に殺されるタイプです。
十分に後悔してください。
●ネタバレ解説
〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
①香月悦子---●香月遥(正体は片桐ルシア)---衝動・正当防衛【転落死:なし】
(殺害未遂)
〇片桐ルシア---●綴喜みち子---憎悪
結末
コンクール本選で
魂のこもった演奏を終えた遥。
岬洋介が推理した
母親を殺した犯人を告げる。
それは香月遥だと。
そして
生き残った遥は本物ではなく、
片桐ルシアだった。
母親は神社の階段で
本物の遥ではないと気付いた。
襲いかかってきた母を
とっさに払ったら
階段から転落してしまった事故だった。
みち子も正体に気づいて
事故死を狙った細工をしていた。
母を見殺しにしたことは確かで
遥と入れ替わっているのも事実。
警察はすでに
遥をルシアだと見当をつけて
動いていると知り観念する。
奇しくも優勝してしまったルシアは
表彰式で全てを告白すると決めた。
●叙述トリックについて。
叙述トリックは
記述者交代による「人物誤認」
第1章は「香月遥」が語り手。
しかし、
火事の後の第2章から
「片桐ルシア」が語り手になっている。
違和感なくすり代わるため、
①一人称を「あたし」で統一し、
②ピアノが演奏できて、
③同い年、背格好や髪の色も同じ、
血液型も同じ、という設定にしてある。
地の文に難しい言葉や
単語が出て来るが
④叔母さんが持って行った
小難しい文学全集(P.16)のおかげで
遥と遜色ない語彙力を持っている。
病院で目を覚ました直後は
自分が遥になることに
抵抗もあっただろうが
それしか生きる道がないとわかり、
⑤徹也を「お父さん」
悦子を「お母さん」と呼びはじめる。
これは会話の中でだけ
「お母さん」と呼んでいて、
心の声である地の文には
悦子に対して「彼女」とか「家族」など
曖昧な表現で誤魔化している。
おそらく本当の母でないから
地の文で嘘をつきたくないのだろうが、
この時点で「お母さん」と呼ぶことに
覚悟を決めているので
個人的には悦子を「お母さん」と
地の文に入れてもよかったように思う。
なぜなら、
「研三叔父さん」「みち子さん」
「お爺ちゃん」ばかりが浮いてしまい、
お父さんとお母さんのことを
ぼかしているのが
悪目立ちしてしまうからだ。
⑥火事の時、
最後まで残って
祖父と従姉妹が死ぬのを見ていることも
香月遥だと思わせるミスリード。
“あたしは二人が焼け死んでいくのを目の前で見た。いわば、二人の最期を看取ったことになる。”(P.79)
お爺ちゃんは車椅子ごと燃えた。
ルシアは火に包まれて
のたうち回って動かなくなっていた。
そして遥の上に
天井が燃え落ちた。
この状況から
2人の最期を看取ったのは
遥と考えるのが普通だ。
ところがそうではなく、
ルシアはまだ生きていて
落下した天井に
押し潰された遥の姿を
薄れゆく意識の中で
見ていたことになる。
では逆に
見破る伏線はあったのだろうか?
ルシアが
インドネシア育ちなのがポイント。
①香月遥は酢豚が好き。
“第一、脳梗塞の原因となった高タンパク高カロリーの食事を舅に振舞い続けた嫁としては、老人食を作らせても完璧なみち子さんの軍門に下るより他になかったのだ。ただ、お爺ちゃんの独裁もみち子さんの穏やかな支配も、あたしにとってはとても快適なものだったので文句はなかった。みち子さんの作る酢豚はお店で出してもいいほど絶品なのだ。”(P.27)
→しかし、
イスラム教徒の
インドネシアで育ったルシアは
豚肉を食べれない。
“食事もあたしにとっては治療の一部だ。可能な限りタンパク質を摂取する必要があるので乳製品や豆料理が主体となる。その分、苦手な豚肉料理が少なくなったのは有り難かったけど当然家族とは別メニューだ。”(P.111)
→無理をして食べているのがわかる。
②右手で使っている松葉杖を
わざわざ左手に持ち替えて
右手で物を受け取る。(P.89)
→左手は不浄な手だという教えから
左手は出さず右手を出す。
そして
香月遥の
「小首を傾げる癖」
③遥は右に小首を傾げる、
ルシアは間違えて左に小首を傾げる。
→これはルシアが
鏡を見ながら練習したから
左右が逆になったという。
そんなことがあるのだろうか?
と思ったが、
松村邦洋がたけしの真似をしている時、
たけしさんに
「顔が逆だよバカヤロー」と
引きつっている向きが逆だと
笑われたというエピソードがある。
そう考えると
ありえなくもないのかな。
ただし、
ここの伏線の書き方に
アンフェアな部分がある。
最初の遥の仕草は
“あたしはどう答えたらよいものか分からず、ついいつもの癖で小首を右に傾げた。”(P.14)
と、あるので右。
次にルシアが鏡を見て練習。
“そんな顔を見ているのが愉快なはずもなく、鏡を覗き込むのは専ら表情のリハビリをする時だけになった。引き攣る痛みを堪えながら無理矢理表情を作る。怒ってみせる。泣きそうにする。笑ってみせる。悲しそうにする。かつての癖を再現しようと鏡の中で小首を右に傾げる。やってみれば分かるが怒ったり不機嫌な顔をするには大した労力を必要としない。”(P.76)
→ここは「鏡の中」が重要。
鏡の中の自分は小首を右に傾げている、
と言いたいわけです。
つまり自分は左に小首を傾げていて
逆に練習しているわけですね。
ところが、
大事な伏線の締めが
うまく決まってなくて
俺が小首を傾げるはめに・・・
両親の前でチェルニーを披露した後、
“三人の視線があたしに向けられた。自分の努力を否定するつもりはなかったけど、照れ臭かったので小首を傾げて誤魔化した。”(P.145)
あれ?
ここは「小首を“左に”傾げて誤魔化した」と
書くべきところではないですか?
そうしないと
伏線にならないですよ。
もうひとつ。
コンクール出場が決まった時、
“熱に浮かされたようにはしゃぐ姿を目の当たりにしてどう対応していいのか分からず、思わず小首を傾げてみせると、彼女はそそくさと部屋を出ていった。”(P.163)
まただ。
また方向を書いてない。
この2つで母が違和感を持ったはずなのに
これでは伏線とは言えない。
トリックを見破られたくないのはわかるが
それならこれを回収する時に
岬が「左に傾げて見せた」(P.407)と
後出しで言わせてはいけない。
微妙な伏線がもうひとつ。
③母親が抱きしめた時に
娘の臭いが違うことから
別人ではないかと疑う。
“そう言ってあたしをきつく抱き締めた。そして急に怪我もことを思い出したのか、手を緩めて、一瞬不安げな目をこちらに向けた。”(P.163)
→母親が疑惑を抱く瞬間が
上手く表現されている。
しかし、
大火傷で皮膚を移植したのだから
汗の臭いどうこうの問題ではない。
母親といえど、
そこまで感知できるのか疑問。
④悦子が死んだ時、
“家族の一人が死んだ、という実感は湧かなかった。”(P.169)
→自分の母親ではないとはいえ、
あまりにも冷たい。
⑤アベックという死語を使う。
“その指示通りあたしは岬さんと一緒に白川公園で降りた。午前十時の公園は雨上がりの柔らかい陽射しに誘われて、アベックや親子連れがちらほらと集まっている。
公園のベンチには笹平さんが待っていた。”(P.362)
→普通の女子高生は
「アベック」という死語は使わない。
しかしルシアは
「ブリッ子」を平気で使うように
日本の流行に少し遅れている。
「覚えた言葉が
すぐ古くなっちゃうもん」と
嘆いていた。(P.15)
Amazonレビューなどで
これは作者が
50過ぎたおっさんだから
「アベックなんて死語。
こんな些細な言い回しすら
現実味がなさすぎて入り込めない」と
恥ずかしい勘違いをしてて笑った。
これ伏線ですよ。
⑥葬式に出るのは初めて。
“葬儀が終わると遺体はそのまま火葬場で焼かれた。外に出て煙突を見てみたが思ったほどの煙は出ず、淡い白煙が雨の中に棚引くだけだった。
葬式に立ち会うのはこれが生まれて初めてだった。哀しい気持ちはもちろんだが、それ以上にどうしようもない喪失感と恐怖が胸を襲う。”(P.181)
→ルシアはインドネシアで生まれ
両親の死を日本で知り、
他に肉親もいないため
一度も葬式に出ていない。
しかし香月遥は
1年前に葬式に出たと
推測できる描写がある。
かなり冒頭の
火事の夜に戻ってみよう。
あの日、
両親は石川の実家に
帰省している。
“土曜日。両親は母方の祖母の一周忌に外出した。お母さんの実家は石川なので法事はどうしても泊まりがけになる。”(P.38)
→母方の祖母が
1年前に亡くなっていることが
さらっと書かれている。
当然、遥は孫なので
葬式に出るため
石川に行ったはずだ。
このことから
第2章からの語り手が
香月遥ではないという
決定的な証拠になっている。
伏線だと
この「一周忌」と「酢豚」の2つが
優れた張り方だと思うが、
「小首の向き」と「臭い」は
微妙なところ。
叙述トリックは本来、
映像化できない。
(映像で見るとバレるため)
この作品は
映画化もTVドラマ化もされており、
それが可能なのは
中身がルシアに入れ代わっても
火傷後の整形で
外見が遥のままで通用するからだ。
一人称の心の声、
例えばルシアなのに周りが遥と呼ぶ葛藤を
書かなくていいし、
三人称で生き残ったルシアを
遥と書くと嘘になるので気を遣うし、
むしろ映像で見た方が
騙され易い作品と言える。
ちなみに俺は
2016年3月18日放送の
TVドラマ版だけ見た。
東出昌大・黒島結菜主演。
この中で良かったのは
2人の入れ替わりに気づいた瞬間を
「小首を傾げる方向」ではなく、
遥のピアノ演奏の映像を見て
気付いたことになっているところ。
本物の遥の演奏は
「レのフラット」が弱いと気付き、
それは左手の小指が
少し短いことが原因だと
岬は推理する。
そして事故の後、
遥にピアノを教えるときに
指を鍵盤に乗せて見て
遥ではないことに気づいた。
さらに
本物の遥は映像の中で
彼女独自の解釈で弾いた四小節があり
岬は感心していたのだが
生き残った遥は
譜面通りにしか弾かなかったので
遥ではないと確信したと
アレンジしてあった。
小首より全然良いアレンジです。
ただし、
パジャマの交換や母親が直観で
気付いた件はそのままだった。
事故前にルシアよりに
スポットを当てていたので
正体がルシアでも感情移入できた。
原作は
あまりにも火事前のルシアが
描かれていないのが残念なところだ。
●欠点が多すぎる。
この作品、
欠点を取りあげたらキリがない。
①まずこんな医療ミスの
取り違えは
現代では絶対にありえません。
死体を調べない理由が
犯罪の可能性がなかったからって
無理矢理だ。
②服を交換する理由が
「境遇を入れ替えて気晴らしになる」
というよくわからない理由。
誰が納得するのか?
そんなことをせずとも、
ルシアに遥のお下がりの
パジャマを着せれば、
どちらが生き残っても
燃え残った服は遥のだから
遥が生き残りだと思われるはず。
③臭いで気づくよりもまず、
遥とルシアの記憶の齟齬から
母親が気づけるだろう。
会話をしていて
昔のことを憶えていないことが
多ければ怪しいと思うはずだ
④一人称だと自分の殺人シーンを
わざと書かないため
アンフェアに感じてしまう。
それとルシア視点でここまで
難しい言葉を使わせるなら
一人称ではなく、
三人称で書くべき。
「お母さん」の呼び方の違和感も
解消できる。
ただし最大の問題点は
ヒロインを「遥」と書くかどうか。
中身は「ルシア」なので
地の文で「遥」と書くと嘘になる。
ここをクリアできれば・・・
⑤火事で亡くなった
お爺ちゃんのことには
何度も触れるのに
一緒に死んだ従姉妹(遥)に
全く触れないのはおかしすぎる。
仲がよかったんじゃないのか?
いくらトリックのためとはいえ、
あまりにも薄情すぎる。
⑥メイントリックが
このパターンなら
生き残ったのは「遥」の方に
するべきだったと思う。
遥の頑張りに読者は
感情移入して読み進めていたのに
このパターンでは最後に別人かよ!と
裏切られた気分になる。
例えば「イチロー」を見に球場に行って
試合後にバスに乗る「イチロー」が
「ニッチロー」だったら
俺たちは今まで誰を応援していたんだ?
と複雑な気持ちになるでしょ。
⑦みち子の動機が不自然。
なんでルシアが玄太郎たちを
殺したと思えるのか。
そんなにルシアの印象は悪い?
そこまで玄太郎に惚れてたのか?
みち子が岬の言葉で改心するが
「本来の自分とは異なる
何者かにされるのは悲劇ですよ」(P.264)と
岬が言った場面で
みち子が動揺した伏線が全く無い。
ルシアは「魔法の呪文」と受け取り
直後のピアノで
指が動くようになったが
この言葉を言った時にルシアが
全く反応していないので
ピンと来ない。
⑧大火傷の治療は
そう簡単に戻らない。
具体的な例をあげます。
SNH48という
上海のAKBグループがある。
2016年3月1日。
SNH48のタン・アンチーは
上海市内のカフェで、
全身の80%に及ぶ大やけどを負った。
3月4日に行われた1回目の手術は、
壊死(えし)した組織を除去し、
眼球を保護し、
さらに腕や膝関節に
皮膚を移植するものだった。
これに続いて11日、
2回目の手術は大腿部を中心に行われた。
さらに3回目の手術が行われ、
終了後に集中治療室を出られる。
・・・とこのように
たいへん時間がかかるもの。
作品のように2ヶ月で退院なんて
あまりにも無茶です。
⑨障害者について。
車椅子の人間をじろじろ見ないから
遥を車椅子に乗せて
堂々と入り口から入る。
これは
「見えない人間トリック」といって
個人的には良いと思ったが
やはり扱う題材が悪い。
まるで障害者が腫れものだと
皆が目を背けているような
強調している書き方だから
目を背ける人ばかりじゃないことも
添えておかなければ
読者に悪い印象を付けてしまう。
⑩川の水面を見て
津波を思い出してしまうなら、
火葬場の煙を見て
火事のトラウマがなぜ出ないのか?
⑪母親殺しの外出理由が
「生理用品を買うため」というのは
言い訳が苦しい。
母は携帯電話を持ってないのか?
2004年12月26日の
スマトラ島沖地震のあとだから
2005年の設定のはず。
1990年代ならまだしも
携帯くらい持ってるでしょう。
⑫岬が「少年法」を持ちだして
ルシアはすぐ社会復帰できると
安心させているが
インドネシア国籍のルシアは
まだ帰化申請が通っていない。
日本の少年法は適用されない。
●演奏した曲まとめ。
>英雄ポロネーズ (ショパン)
・・・レッスン教室の課題曲。
>練習曲アラベスク (ブルグミュラー)
・・・大火傷の後
最初に弾いたが指が動かなかった。
>超絶技巧練習曲第4番マゼッパ (リスト)
・・・チャリティーコンサートで
岬洋介が弾く。
>練習曲 (チェルニー)
・・・学校で出された課題曲。
>熊蜂の飛行 (リムスキー・コルサコフ)
・・・学校で弾いて
コンクール出場を決定付けた。
>エチュード十の二 十の四 (ショパン)
・・・コンクール予選で弾いた。
>月の光 (ドビュッシー)
・・・コンクール本選の曲その1。
動かなくなる指と戦いながら
完璧に弾いた。
>アラベスク第1番 (ドビュッシー)
・・・コンクール本選の曲その2。
倒れそうになりながら
体重を使って弾いた。
見事優勝を果たす。