誘拐もののミステリの
傑作として
絶大な評価と知名度のある
この作品。
『大誘拐』
天藤真(1978年)
![]() | 大誘拐―天藤真推理小説全集〈9〉 (創元推理文庫) 907円 Amazon |
1979年に
第三十二回日本推理作家協会賞
長編部門を受賞し
1991年には映画化されて
一躍有名になった。
あらすじ
紀州随一の大富豪
柳川とし子刀自(とじ)が
突然「山歩きがしたい」と
言い出したことから物語は始まる。
刀自は82.歳の小柄な老婦人で、
2度結婚したが、
夫は2人ともすでに他界している。
7人の子供がいたが
3人が死んでしまい
今では男女2人ずつの4人。
しかし現在は別居中で
和歌山県津ノ谷村の
柳川家の本家には
とし子刀自とその召使たちしか
住んでいなかった。
山歩きしたいと言う
刀自の気まぐれを
不思議に思いながらも
老執事の串田孫兵衛が承認し、
若い小間使いの
吉村紀美(よしむらきみ)をお供にして
安西が運転する車に乗って
毎日決まった時間に出掛けるようになった。
柳川家の持っている広大な山を
自分の目で見て回るつもりらしい。
その様子を
双眼鏡で監視する男がいた。
男の名前は
戸並健次(となみけんじ)。
健次は孤児の施設「愛育園」で育ち、
14歳で脱走してスリの一味に加入した。
前科二犯、犯行歴126回。
1年2ヶ月の収監の後、
先日、大阪の刑務所を出所したばかり。
知能も体も頑強な彼は
刑務所で出会った2人を仲間にして
刀自の誘拐を企んでいるのだった。
仲間の1人は、
秋葉正義(あきばまさよし)という。
一家離散して両親とも生死不明。
日雇い労働者の裏で
窃盗を重ねて逮捕された。
知能は劣るが巨体で力が強い。
もう1人は
三宅平太(みやけへいた)。
父を亡くし、
母と妹がいる。
高校中退後に
初めての窃盗で収監。
知力・体力とも普通。
健次がリーダーとなって
刑務所で見込みのありそうな奴を選んだ。
正義は絶対に裏切らないタイプで、
平太は自分から
仲間に入れてくれと頼んできた。
家が借金苦で
妹が体を売らされそうだから
お金がいるらしい。
健次・正義・平太の3人は
柳川とし子刀自を誘拐して
五千万の身代金を
要求する作戦を立てている。
和歌山市近郊に
アパートを確保し、
黒のマークⅡを購入。
8月中旬に現地に乗り込んで
監視していたものの
なかなかチャンスが巡って来ない。
山と渓谷に囲まれた柳川家は
難攻不落の城のように
近づくことすらできないのだ。
健次たちは刀自が外出するのを
待つしか方法がなかった。
ところが、
急に車で外出するようになり、
どうやら途中で車を降りて
山を歩き回っていることがわかったのが
この9月のこと。
最初は連携がうまくいかず、
車を見失ったりもしたが
バイクを購入してから
刀自の行動パターンを調べて
ついに決行の時がやってくる。
ちょうど柳川家でも
不審な車を最近見かけると
話題になっていた頃だった。
刀自が紀美を連れて
迎えの車が到着する地点に近づいたころ、
突然3人の覆面の男たちに取り囲まれた。
「あんたたち、何しに来やはった」と刀自。
「あんたをさらいに来た。目当ては身代金さ」
男たちは姿を見た紀美も
一緒にさらおうとするが
刀自が頑強にそれを拒む。
「なりまへん!この子には
指一本触れてはなりまへん!」
誘拐されることが
紀美にとって一生キズものになると言い、
紀美を解放しないなら
舌を噛み切ると凄む。
これには健次たちも圧倒された。
ここで紀美を逃がしても
すぐに通報できないから
損はないと説き伏せ、
刀自の全面協力を約束に
紀美を解放する。
一人さらうのと
二人さらうのではデメリットも大きい。
柳川とし子の誘拐事件の一報は
県警本部長の
井狩大五郎を激怒させた。
井狩にとって
刀自は大恩人であり、
何に替えても救い出すと燃えた。
刀自が大富豪なのに加えて
皆に慕われる人物でもあり
この事件は全国区の話題になる。
一方の健次たちは
刀自を車に乗せた後、
24号線を北上していたが
「アジト、まさか和歌山市内や
おまへんやろな」と
刀自が口を出す。
目隠ししていても
今どこを車が通っているのか
刀自にはわかるのだ。
そして県警の井狩のことも
知り尽くしているから
自分が井狩だったら
どう捜索するか話し始める。
柳川家の本家のある
津ノ谷村を中心に半径80キロの
和歌山市内にアジトを構えるはずだと。
ズバリ当てられて
ぞっとする健次たち。
しかもこの3ヶ月以内に
新規のアパートを借りた者と、
前から不審に思っていた車の
黒のマークⅡの手がかりを調べれば
おのずと犯人に辿り着くと
刀自に推理されてしまう。
それを聞いて
運転していた平太が車を停めた。
「あかんわ」
このまま和歌山に行くと
捕まるのは時間の問題だ。
しかし
他に隠れる場所なんてない。
イライラする健次。
やっと誘拐したのに
連れていく場所がなくては
お話にならないではないか。
追い込まれた健次が
駄目もとで刀自に尋ねる。
どこか隠れる場所を
提供してもらえないか?と。
すると刀自は
ひとつだけあると答える。
そこの住人は刀自の元メイドで、
刀自の言うことなら
何でも聞いてくれる人だという。
彼女を拘束したり
危害を加えないと約束するなら
紹介してもいいと言った。
「くーちゃん」こと
中村くらの家は
かなり山の中の紀宮村にあった。
ここなら絶好の隠れ家だと
感心する健次たち。
くーちゃんは56歳の
たくましいおばあちゃんで
ここには1人で住んでいる。
迎えに出て来たくーちゃんに
サングラスとマスクで顔を隠した
怪しい3人組を
お供と言って紹介してくれた。
この3人に誘拐されたというていで
しばらく厄介になることに……
何でも言うことを聞けと言ったが
どうしてそこまで協力してくれるのか?
被害者のはずが
やがて作戦の中心になっていく刀自。
身代金をいくつに設定しているのかと
尋ねられた健次が
「五千万」だと言うと
刀自は血相を変えて怒る。
「あんたこの私を
何と思うてはる。
見損のうてもろうたら困るがな」
そして、誘拐団は
前代未聞の「百億円」の
身代金を要求することに!?
こうして
誘拐団3人と人質のおばあちゃん、
VS井狩本部長の
本格的な戦いが始まった----。
解説
紀州随一の大富豪
柳川とし子刀自の誘拐を企てた
3人の誘拐犯たち。
しかしその計画は
刀自にも見破られるお粗末なもので、
窮地に陥った犯人を
なぜか人質が手助けすることに……。
しかも身代金は
前代未聞の百億円!?
奇想天外なプロットと
意外な展開の連続に唸る、
本格誘拐ミステリー。
天藤真の長編第8作。
著者の代表作と名高い。
誘拐ものを語る時に
避けては通れないほど有名。
誘拐された被害者の老婦人が
高い知力を駆使して
犯人側に協力し、
警察を出し抜くという発想が
まず面白いアイディア。
そのために
犯人側が完全な悪役ではなく
同情の余地のある書き方をしている。
作中で
「誘拐」についての説明があり、
法律上では
甘言などで
連れ出すのを「誘拐」といい、
暴力や威迫などで
連れ去ることを「略取」という。
この物語の方法は「略取」だが、
一般的ではないため
「誘拐」という言い方に統一してある。
「誘拐は最高の知恵が要る犯罪」
という言葉が出てくるが、
これはまさにその通りで
実行するには
6つの困難があるという。
- 人質の誘拐それ自体の困難
- 人質の身柄を極秘に確保する場所と方法の困難
- 身代金を受領する方法(相手方への連絡法も含んで)の困難
- 人質を解放した後の安全の確保
- 仲間割れの防止
- 身代金の使い方
これらをクリアしないと
誘拐という犯罪は成功しない。
それだけ難易度が高い犯罪である。
しかも
身代金が百億円という
とんでもない金額で、
これをどうやって
回収するのかという疑問も
読者を惹きつける。
ジェラルミンのケースひと箱に
一億五千万円入るらしく、
百億だとケースで
六十七個という大荷物。
それを警察の目をごまかして
受け取る方法があるのか?
常識的に考えても不可能なことを
どうやって成し遂げるのかに
注目が集まる。
犯人側と警察側の駆け引きが面白く
先が読めず、
物語は二転三転する。
日本推理作家協会賞を受賞したのも
納得の傑作である。
欠点としては……
●百億の捻出方法の説明が難しすぎる。
(伏せ字)雑損失控除(ここまで)の
意味がわかりにくい。
●四万ヘクタールの大富豪という
設定ありきなので
ややリアリティに欠ける。
●身代金の受取りトリックに
地図や図がほしい。
どういうことなのか想像しにくいので
すんなり呑み込めない。
●おばあちゃんの動機は難解。
●トランシーバーでのやり取りは
この時代ならではだが
そんなに万能ではないので
ここまで上手くいくとは思えない。
俺の感想
これはアイディアの勝利。
82歳のおばあちゃんを誘拐したら
とんでもないスーパーおばあちゃんで
犯人に知恵を貸して
警察を手玉にとるというのが痛快でした。
(このアイディアには前例があるらしいが
それは文庫の解説にあるので割愛)
身代金の百億円も
1978年当時で百億だから
現在だともっと大きな金額になる。
スケールの大きさが半端ない。
ただ欠点で指摘したように、
車やヘリコプターで
移動や輸送をするので
小説ではどのルートを通っているのか
わかりにくくて斜め読みになってしまった。
話自体はすげー面白い!
最後まで飽きさせない
展開がすごいです。
さすが賞をもらうだけある。
健次が刀自に
打ち明け話をするシーンでは
思わずウルッときてしまった。
さらにラストで
刀自が井狩に言った台詞にも
胸を打たれました。
読者が望むような大団円に
なっているので
読後感がよいです。
★☆☆☆☆ 犯人の意外性
★★★★☆ 犯行トリック
★★★★★ 物語の面白さ
★★☆☆☆ 伏線の」巧妙さ
★★☆☆☆ どんでん返し
笑える度 △
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 ○
総合評価(10点満点)
8.5点
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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。
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●ネタバレ解説
○被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
①柳川とし子 ---●「虹の童子」 ---金銭欲
結末
刀自の協力のおかげで
健次たち「虹の童子」は
百億円をまんまと入手し、
刀自は無事に家に戻った。
犯人は姿を消して
事件は一応の決着はした。
井狩は刀自に
「あなたが犯人に
知恵を貸したのではないか?」と
自分の推理をぶつけると
刀自はその通りだと認めた。
しかし健次たちのことを庇って
絶対に真相は
公表しないように約束させる。
この事件で柳川家の絆は強くなり、
広大な土地を処分することができて
刀自としても望んだ結果になった。
犯人3人は解散し、
二度と犯罪に
手を染めることはなかった。
リーダーの健次は
柳川家の木工職人として
今も刀自のそばにいる。
●壮大な誘拐トリック
この作品の犯人が
使った誘拐トリックの
要点をまとめてみよう。
人質の家族に連絡する方法は
「手紙」を使用している。
電話だと逆探知されるから回避した。
その手紙も人質自身に書かせて
犯人が本物であることや
人質が生きていることを証明する作戦。
犯人の「潜伏場所」は
人質を崇拝している人物の家に隠れた。
警察は中村くらの存在は気付いていても
敵対する人物の仕業にちがいないという
先入観があって
くーちゃんの家にまで捜索を寄越さなかった。
この家にテレビの配線がないことも
テレビ放送にこだわる犯人像から
勘違いして
遠ざかってしまう一因だった。
実際に生きている人質を見せろと
要求された犯人は
「テレビ放送」で人質と家族を会話させている。
そのための作戦は、
中継車に規定ルートを走らせて
そこに犯人側が接触するというもの。
当然のように
警察の車も尾行し、
ルート上にも警官を配置していたが
犯人側はこの車をオトリに使い、
犯人グループの一人が
堂々とテレビ局に乗りこんで
後発の中継車を本当の集合場所に案内する。
そこの地形を利用して
電波以外が届かない場所で合流。
犯人側に誰も触れることの
できないように工夫してあった。
最大の問題の身代金。
「百億円」という莫大な金額の工面方法は
刀自が自ら提案した。
刀自の所有する四万ヘクタールの
広大な土地を息子たちに
共有財産として贈与して
それを売却すること。
これをテレビで何万人もの
視聴者の前でやることで
安く売り叩くことを防止し、
しかも財産贈与を
厄介な手続きを飛ばして
スムーズに行うことができる。
刀自の命がかかっているから
当然のことだ。
肝心の身代金の受取り方法は
まずジェラルミンケースで
六十七箱の百億円を
厚手のビニール袋に詰め替えさせる。
その様子をテレビ中継させて
発信器などを仕込むのを防止する。
一袋四億円が二十五袋になった。
それを
大型ヘリコプターに積み、
信頼のおける操縦士一人だけで操縦する。
テレビ中継のヘリが一機
尾行についてくるように指示する。
指定のルートを飛ばせて
犯人側の指示があったら着陸させる。
犯人側が接触した際に
変装した刀自がそのヘリに乗って
操縦士を言いくるめる。
中継ヘリにはもうついてくるなと指示。
他の犯人たちは
くーちゃんの家に待機。
百億を積んだヘリは
飛行時間を誤認させるため
わざと止まって時間を稼いだ後、
偽装の蛇行運転をしながら
くーちゃんの家の付近でお金を降ろす。
ここで刀自も降りる。
ヘリはその後、
柳川家に寄って領収書を落とし、
目くらましの飛行をしながら
幽鬼山にヘリを着陸。
ヘリを隠して
3日後に操縦士は見つかるようにする。
刀自は御座岬に送ってもらい
そこで発見されるようにする。
最終的なお金の行方だが
正義は一銭も受け取らなかった。
くーちゃんの養子になり
邦子さんと結婚した。
平太は最初の約束通り
一千万円を持って故郷へ帰った。
残りのお金は
柳川家の持仏堂の
「阿弥陀如来の像の中」に
木工職人として
柳川家に出入りしている健次が
お金を隠している。
そのことは健次と刀自しか知らない。
とまあこんな誘拐計画だったが、
はっきり言って
車やヘリがどこをどう移動したのか、
どんな場所なのか想像しにくいから
すんなりと頭に入って来ない。
映画化されているので
こっちを見た方がわかりやすいかも。
(まだ見てない)
●名言まとめ
百億円という金額を聞いて
ラーメンが何個買えるかと
考える健次たちに対して、
刀自は旅客機のトライスター単位で例えて
物の考え方を変えてみることを教える。
“お金いうもんは怖いもんや。おまえたち、まだお金は物を買うためのもんやと思うとる。お金は力や、いうことがわかっとらへん。それがわかってくると、もっと怖うなる。それからやな、千円も百億も同じ金や、いうことがほんまにわかってくるのは。いまんとこはその第一歩や。お金を考えるのに、ラーメン単位もあるし、トライスター単位もある……それがわかっただけでも、一歩前進や」”(P.165)
小さい時に
刀自と面識のあった健次は
刀自の前でも絶対に
素顔を晒さなかったが、
どうしてここまで自分たちに
協力してくれるかわからず、
話をしているうちに
その温かさに触れて
自分の素姓を語り始める場面。
“「おばあちゃんや。この顔、覚えがあらへんか」
「………?」
刀自はふしぎそうに小首をかしげて、健次に見入る。
(中略)
思い出せないのが当然だ。……とは思いながら、やはり胸がキリッといたまずにはいられない。
……だが。
「実はなあ……」と失望を押し隠して、話し出そうとしたとき、刀自の面が急にパッと輝いたのだ。
「おまえ、もしかして、あの登山ナイフの子やあらへんか」
「そや、そや。よう思い出してくれはったなあ」
じーんと目頭が熱くなった。
うれしかった。そして、ありがたかった。やっぱり、このおばあちゃんは見せかけの慈善家なんかではない。少年の心の痛みを自分でも感じて覚えていてくれる。ほんとうの優しい心の持ち主だったのだ。(P.275)
事件は解決したが
犯人は捕まらなかった。
井狩は自分の推理を刀自にぶつけ、
刀自も自分が犯人に
知恵を貸していたことを認める。
では犯人は今どこに逃げたのか?と
尋ねる井狩に、
刀自はこう言った。
“「すんまへんな、井狩はん」思いがけないことに、刀自はしみじみと言って深々と彼に向って頭を垂れたのだ。
「……大奥様」息をのんだ井狩の面を、刀自は静かに顔をあげて、じっと見入る。それまでのひょうたんなまずのかげもない、真率な、言いようのない深いものにあふれたまなざしだった。穏やかな澄んだ声で語りかける。
「あんたはんのお立場はようわかります。今のお怒りはごもっともや思います。……でもなあ井狩はん。それだけは死んでも言えまへん。罪人のわが子の行方を言う親がおりまへんようになあ。……私、今ではなあ、あのものたちの母代わりみたいなもんですのや」”(P.435)
ここはさすがに泣きましたね。
母親の愛情に初めて触れた
健次の気持ちがわかる。
誘拐事件が発生しているが
結局誰も死んでいない。
お金を奪われたが
みんなに得る物があった。
犯人側が完全勝利しているにも関わらず、
まったく嫌な気持ちにならないのも
刀自という素晴らしいキャラクター
あってのものだと思います。