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【ネタバレ注意】友井羊『ボランティアバスで行こう!』の感想。

2011年3月11日。
東北地方で発生した大地震と
その津波の影響で
たくさんの方が亡くなりました。

毎年3月11日が近づくと
震災のことが胸に蘇ります。

この東日本大震災を
モチーフにした小説は
いくつかありますが、
中でも評判の良いのが
この作品です。

『ボランティアバスで行こう!』 
友井羊(2013年)

ボランティアバスで行こう! (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)/宝島社
Image may be NSFW.
Clik here to view.

¥702
Amazon.co.jp

友井羊(ともいひつじ)氏は
『僕はお父さんを訴えます』が
第10回「このミス」大賞で
優秀賞を受賞してデビュー。
この『ボランティアバスで行こう!』は
2作目だそうです。

最後まで読んで
「あっ」と声が出る
そして温かい気持ちになる、
そんな作品でした。

あらすじ

あなたはどうして
災害ボランティアバスに
参加したのですか?


バスの中の自己紹介で
東京から参加した29歳の会社員
遠藤幸樹(えんどうこうき)
当たり障りのない答えをした。
本心は「罪ほろぼしのため」であったが
それは誰にも言わずに・・・。


3月に東北で大きな地震があった。
津波に街が飲み込まれる映像を見た。
とても現実とは思えない光景に
愕然とした幸樹。

被災した地域に「山浦」があった。
ネットで情報を収集すると
鯉崎(こいざき)という山浦に住む人物が
ブログで現状を発信していた。

小さな山浦は
他の大きな被害を受けた地域が
優先されたため、
救援が間に合わず
しばらく孤立していたが
震災から2ヶ月経って、
なんとか復旧しつつある状態らしい。
それでもまだ
人手が足りなくて困っている。

幸樹は幼い頃に
両親が離婚していた。
小学二年の夏休み、
一緒に行きましょうと
幸樹を連れて行こうとする母。
幼い幸樹は思わず拒絶したが、
今思うとあの時、
母と一緒に行けばよかった。
その母が
被災した山浦という街に
住んでいると知り、
幸樹は居ても経っても
いられなくなったのだ。

自分にできることはないか
探していると
災害ボランティアバスの存在を知った。
しかも格安のうえ
日帰りで参加できるツアーを発見。
主催者の
大石和磨(おおいしかずま)
まだ大学生で
髪を染めた
チャラそうな男なので心配だが、
大浦に行けるならと
参加を決意した。

5月下旬。
大石主催の
災害ボランテイアバスが山浦に出発。
参加者はOLや老夫婦や女子高生と
年齢も職業もばらばらな15名。

バスが目的地に近付く。
窓から見える惨状に言葉が出ない。
津波の傷痕の凄まじさに
目を覆いたくなる。

山浦小学校で鯉崎さんと合流した。
この山浦で情報を発信したり、
災害対策本部の中心人物だ。

休憩時間に
災害対策本部という小屋の中に
無断で侵入した幸樹。
その目的は
母の情報を調べること。
行方不明者のリストに
母の名前を見つけた・・・

そこに鯉崎と
宮之内成子(みやのうちなりこ) という
おばあさんが一緒に入って来る。
ここで何をしているのかと
問い詰められるが
成子のおかげで幸樹は助かる。

幸樹はひとつだけ質問をした。
「山内草子(さんないそうこ)さん
というかたは
津波で亡くなられたのでしょうか」
「おっしゃる通りです。
とてもお優しいかたでした」
壁に母の写真が貼ってある。
春の日差しの中、
優しく微笑む女性・・・。
幸樹は堪え切れずに
小屋を飛び出した。

バスは目的地の田んぼに到着する。
津波で倒壊した家屋の
瓦礫を撤去する作業を
ボランティアで行う。

幸樹は人一倍働いた。
母を拒絶して
死なせてしまったことへの
罪ほろぼし。
しかし何時間経っても
いっこうに瓦礫は片付かない。
自分たちの力は
微々たるものなのだと
思い知らされた。

昼休憩に
地元の子供たちが
スポーツドリンクを
差し入れしてくれた。
本来ボランティアは
施しを受けてはいけない。
自分たちの飲み物は
自分たちで持ち込むのがマナーだ。
どうすればいいか迷う大石に
鯉崎が受け取ってくださいと
声をかけたので
この差し入れを
ありがたくいただくことにする。
自分たちの食べ物だって
不足しているのに・・・
幸樹は胸が熱くなった。

幸樹のもとに
幼稚園くらいの少女がやって来て
ペットボトルを渡した。
銀色のハートで作った折紙を
プレゼントしてくれた。
名前はさっちゃんと言うらしい。
「これもあげるね。
ぎんいろはとくべつなの」
「うれしいよ。大事にするね」

午後も全力で作業した幸樹は
不覚にも熱中症で倒れてしまう。
成子に介抱されて
その後は軽作業をして終了。

一行はバスで山浦を離れる。
幸樹の隣に成子が座って来た。
そして突然こんなことを聞く。
対策本部で見た写真の女性は
お母さまですよね

言葉を失う幸樹。
その通りだ。

「山内」を「さんない」と言うのは
東北地方の人に多いと言う成子。
さらに母の写真に写っていた
黒いバッグが喘息の吸入器であることや
あの写真を撮ったのが
さっちゃんであること・・・

銀色のハートの裏に
「ボランティア
ありがとうございます」のメッセージ。
「ン」が「ニ」に似てしまう、
幸樹が母から受け継いだのと
同じ文字の癖がそこにあった。

どうして気付かなかったのだろう。
あの子が母の娘で、
幸樹の妹であったことを。

母はいつだって
離れて暮らす息子のことを想っていた。
成子からそう聞かされた幸樹は
堪え切れず涙を流した。


ボランティアバスに乗り込んだ
動機も年齢も違う様々な人たち。
彼らが得るものは
後にかけがえのないものになっていく---

解説

東北で起きた大震災の復興支援のため、
災害ボランティアバスに乗り込んだ
年齢も職業も動機も違う参加者たち。
彼らが体験する短い時間の中で
被災者との交流を通じ
心の成長を描く、
日常の謎系ヒューマンストーリー。

2011年3月11日に発生した
東日本大地震を題材に
災害ボランティアバスに乗り込んだ人々が
様々な困難や出会いを通じて
そこにミステリー要素を混ぜながら
物語は進んでいく。

物語は6章と
エピローグに分けられていて
それぞれの章で主人公が交代する。
第一章は上記のあらすじの通り
会社員の遠藤幸樹が主役だが、
第二章では女子高生の紗月(さつき)、
第三章は主催者の大石が主役・・・
といった具合に
主人公が変化して
最後にそれまでの伏線が収束し、
物語が意外なつながりを見せる。
連作短編集に似た形になっている。

物語の舞台の山浦は
被災した東北地方の地域だが
架空の場所で、
実在の「山浦小学校」とは関係がない。
(大分にある)

この山浦という小さな街で
日帰りのバスツアーを企画し、
ボランティアで復興作業を手伝うのが
参加者の目的である。
遊びに来ているわけではないが、
被災者の鯉崎の口から
観光気分で来たような奴がいた話など
ボランティア迷惑論も交え、
被災者のために
本当に役立つことは何だろうか?と
深く考えさせる内容になっている。

登場する主人公は7人。
①死んだ母の償いのため
バスに参加した会社員・遠藤。
②被災地で出会った姉弟に
「恩送り」のつもりで
協力する女子高生の紗月。
③就活のアピールポイントを作るため
災害ボランティアバスを主催した大石。
④親のすねをかじってばかりの
ニートの潤一郎はバスに乗ろうと
働き始めるがうまくいかず。
⑤定年を迎えた老夫婦、
妻の成子は鋭い観察力で
おせっかいやき。
⑥夫の善冶は口は悪いが
少年との出会いで変わっていく。
⑦ワケありで急遽バスに逃げ込んだ
逃亡者・陣内・・・。
様々な思惑を持った彼らが
どのような経緯で
繋がっていくのかに注目。

主人公の交代が角度を変える
ただの視点変更で終わらず、
どんでん返しにつなげる
工夫であったことは高評価。

合間に挿入されるコラム
「災害ボラバス体験記」も
興味深い内容でありながら
ちょっとしたサプライズがある。

欠点としては・・・

●ミステリー要素は少なく、
最後のオチが良いだけ。
日常の謎も小粒で
ミステリー部分に
期待しすぎるとがっかりする。
どんでん返しもよくある手法。

●ニートの話は必要だったのか?
(ネタバレ解説で補足)

●文字の癖は生まれながらの遺伝より、
習った人や環境の影響が強い。
ありうることではあるが
絶対そうだとはいえない。

●成子が鋭い推理を発揮するが
やや唐突な印象。
理由も元教師で目配り上手だとか
それだけでは弱い。

●大石の口調に違和感がある。
読み返すと特に。

●震災をエンタメ小説として
扱うことに抵抗のある人もいる。

●「苦々しい表情(P.298)」の
使い方が間違っている。
「とても不快で嫌っていること」なので
この流れではその人物が
とても不愉快な人になってしまう。


俺の感想は・・・

これはミステリーじゃなく
準ドキュメンタリー小説として
読んでほしいと思った。

まず震災という
難しいテーマに挑んでいる
心意気が良い。

実際どこまで踏み込んでいいのか
作者も難しかったはず。
フィクションであるが
実在の出来事がモチーフなので
大袈裟だとか
そうじゃないと言われかねない。

俺も3月11日に合わせて
このタイミングで読んだのは
震災を忘れないためだったが
この作品はきちんと震災に
向き合って描かれている。
小説として
成功していると感じた。

災害ボランティアについても
体験されたのか勉強されたのか
詳しく説明されてあって、
本を読むだけで勉強になるし、
自分もボランティアバスに
乗っている気持ちになった。

そこまで
「泣ける」という話ではないが
読後の後味も良く
万人におすすめできる。

個人的には
頑固者のじいさん田中源一が
良いキャラしていた。

298ページの「〇〇です」は
某作の「あの一行」を連想して
ニヤリとさせられる。
その一言で
「そうきたか!」と
思わずページをめくり直した。

「恩送り」という言葉が出て来るが
これは自分の受けた恩を
その相手ではなく
他の誰かに返すこと。

自分が人に優しくされた分、
誰かに優しさを
与えられるようになりたい。
そう思わせてくれる作品でした。

☆☆☆☆ 犯人の意外性
☆☆☆☆ 犯行トリック
★★★☆☆ 物語の面白さ
★★★★☆ 伏線の巧妙さ
★★★★☆ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 △

総合評価(10点満点)
 8点









-----------------------










※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。
 










-------------------------





※ネタバレを見てはいけないと
書いてあるのに
ここを見てしまう「未読のあなた」
あなたは
犯人に最初に殺されるタイプです。
十分に後悔してください。

ネタバレ解説

〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
なし。

結末
逃亡者・陣内は
遠藤を人質にとったが、
共犯者の憲人が逃げず
観念して自首すると約束。

遠藤は幸樹ではなく、
妹の紗月であった。
彼女は兄が影響された
成子のように推理して
陣内の心を動かした。

東日本大震災から
数十年が過ぎたが、
ほかの場所で大震災があり
大石は今もボランティアバスで
復興支援している。
そして紗月も参加していた。
自分が受けた恩を
誰かに返すために・・・

叙述トリックについて。  

この作品は一見すると
2011年の東日本大震災で
ボランティアバスに参加した人たちを
視点を変えて描いた
物語のように思えるが
実は時間軸が違う。 

それがわかるのがこの台詞。
“「あんたのフルネームを教えてもらっていいか」
遠藤は首元に手を添え、少し照れくさそうに答えた。
「えっと、遠藤紗月です
「いい名前だな」
素直にそう思った。遠藤が花の咲くような笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。大切な人たちからもらった、大好きな名前です」”(P.298)


第一章の「さっちゃん」と
呼ばれていた幼稚園児は
第二章で登場した
女子高生「紗月」だった。

さっちゃん=遠藤紗月
たしかに、
紗月をあだ名で呼ぶなら
さっちゃんだろう。

この時間軸は
幼稚園児を5歳とすれば
女子高生が18歳であるから
13年の時間差がある。

つまり
2011年の東日本大震災
2024年の架空の大震災
織り交ぜて構成してあった。

各章ごとにまとめると
第一章・2011年(遠藤幸樹)
第二章・2024年(遠藤紗月)
第三章・2011年(大石和磨)
第四章・2024年(潤一郎)
第五章・2011年(宮之内成子・善冶)
第六章・2024年(陣内嵩臣)
わざと交互になっている。

これを同一時間のように
ミスリードするのが
第一章の最初の自己紹介で
高校生くらいの女の子の発言。

“マイクを渡された少女が、緊張した様子で話しはじめる。経歴は聞きそびれたが、大学生かそれ以下の年齢に見えた。
「私には何の取り柄もありません。だけど、少しでもできることがいいと思って応募しました」”(P.10)


第二章に入って
主人公の紗月の苗字が
明かされないのがポイント。
彼女は白いテープに
名前を書くが
何と書いたか表記してない。

そして紗月はこう思う。
“バスを借りて参加者を集めるまで、様々な調整や手続きが必要なはずだ。染めた髪や態度は軽薄そうだけど、印象よりずっと有能な人物なのだろう。何の取り柄もない紗月が被災地に来られたのは大石のおかげなのだ。”(P.67)


この何の取り柄もない
という言葉で
第一章の少女と紗月を
結びつけて考えさせている。

第三章で
潤一郎が小学校高学年で
震災を経験している話が出る。(P.165)
これを1995年の
阪神淡路大震災だと
思った人は多いはず。
実は東日本大震災のことだった。

潤一郎が父親と会話する場面で、
父が野球の試合結果を見ながら
引っ越す前に住んでいた
地元チームを応援していて
それが「熱狂的なファン」を持つ
球団
だと言ったら
誰でも阪神タイガース
連想するのではないだろうか。
その結果、
阪神淡路大震災への
ミスリードにつながる。
(本当は「東北楽天ゴールデンイーグルス」です)

13年経っても
大石の口調が変わらないのも
同一の時代と錯覚させる原因だが、
これはやや苦しいか。
あれだけ心動かされて
もう少し真面目な雰囲気を
出さないと自分が損をすることは
わかっているはずなのに・・・


第六章に入ってから
違和感が強くなり、
少しずつ伏線が回収されていく。

まず「遠藤」という人物。
明らかに「遠藤幸樹」ではない。
バスの中で陣内の隣に座ったり、
気軽に話掛けている。
 

 →第一章では
 グループに入らず
 ずっと一人でいたので
 誰かの隣に座ったりはしない。

それでも
「ン」の文字を「ニ」と読める癖が
あるのでまだ「幸樹」の可能性がある。
この時点では
幸樹が「また来たい」と
言っていたから
2回目のボラバスという
可能性を残している。

それに「男」か「女」かを
はっきり書いていない。
常識的に⑤男の隣の席に
女性が座って来るのは
よぽど下心がないと
ありえないという先入観
がある。
そのため
「遠藤幸樹」だと
この時点では結論を出してしまう。

次に②バスの大きさが違う。 
“駐車場で最も大きいバスに、和磨は興味を引かれた。
「このバス、でかいっすね」
「それは高速バスの車輛だよ。貸し切り用に登録してないから、チャーターできないよ」
それでも興味があったので、見学をお願いした。子どものころから、バスや消防車などの大きな車に目がないのだ。車内にトイレが設置してあり、さらに床下に運転手用の仮眠室まで用意されている。この巨大なバスをチャーターするのを想像するだけで和磨のテンションは上がった。
しかし社員から勧められたのは、塗装の剥げかけた中くらいのぼろいバスだった。”(P.119)


第一章と第三章では
中型バスだった。
和磨もいつか大きなバスを
チャーターしたいと夢を持っていた。
それが第六章では・・・
“解決策を探すため、車を降りて辺りを歩き回る。五分ほど歩くと、山浦小学校の前にたどり着いた。その敷地内に大きなバスが停まっていた。”(P.262)

 →突然大きなバスに変わっている。
 しかも運転手の休憩室がある
 豪華なバスに。
 この休憩室の件で
 違うバスだと気付くだろう。

陣内は大浦小学校から
「片道で」バスに乗っている。(P.263)
 

 →このバスはどこに向かうのか?
 被災地に行く前とすると
 第一章では小学校から
 田んぼに向かっていた。
 しかし第六章は
 高速に乗って
 サービスエリアに停まっている。

 それでは帰りの便なのかと言うと
 ボランティア自体が無いので
 わざわざこのバスに乗る意味が無い。
 追い返されて当然。

これはおかしいと
思い始めると
各章で違和感に気付く。

「紗月」の名前が他の章では
一切出てこないこと。
 


名前は出てないのに
似たような
女子高生は出て来る。

第一章では先に書いた
「何の取り柄もない」と言う少女。 
第三章では
「クッキーの缶を持ってくる」少女(P.141) 
第五章では
「宗教団体に勧誘されて困る」少女(P.222) 
これは全てレッド・ヘリングだった。

大石と鯉崎は共通して出ているが
第二章では「遠藤幸樹」も
「宮之内成子」も登場しない。
 

・・・と思わせて
第二章では幸樹は
紗月を引き取った
血縁の男として登場している。
この男を「遠藤幸樹」と
決定付けるものはない。
「同居人」と書かれてあり
ここはアンフェア気味。

第二章の被災地が「大浦」だとは
一言も書いていない。
 

 →ここは「架空の被災地」なので
 「被災した県」「目的の県」など
 誤魔化して書いてある。
 
 唯一共通する
 大石と鯉崎が登場し
 ⑨瓦礫の撤去という
 作業内容が共通している
から
 ここは大浦だと
 思わされてしまうだろう。

そうこうするうちに
第六章の陣内が遠藤を
人質に取る場面で決定的になる。

“「お前の言う通り、俺は罪を犯して逃げて来たんだ」
遠藤の肩を強引に引き寄せる。華奢な身体つきで、乱暴に扱うことを申し訳なく思った。乗客は一様にぽかんとした表情を浮かべていた。”(P.282)

 →ここまで書いてくれたら
 もうわかりますね。
 この遠藤は
 遠藤幸樹ではないことが。

この叙述トリック。
震災という重いテーマを扱った小説に
本当に必要なのか?と
個人的に疑問もあったが、
「恩送り」を表現するために
ひとつの手法としての
時系列トリックなので
意味のある叙述トリックだと思う。

少なくとも
読者をただ驚かせたいだけで
叙述トリックを乱発する
最近のクソ作家とは違った。
良い騙し方だった。

その他のミステリー要素。  

その他のミステリー要素を
あげていくと・・・

第一章は、
山内を「さんない」と読んだことから
東北地方に所縁のある人物、
吸入器と医療機器のメーカーロゴから
喘息つながりで
母とさっちゃんの関係を
成子が推理した。

第二章は、
コルクボードの伝言
「代わりに頼む」の言葉から
誰かが近く訪問するはずだったこと。
その人物がこの土地の
「佐藤商店」の場所を
知っていることから
前にもここを訪ねたことがあると
紗月が推理する。

第三章は、
葉書の数字「5」を切手と推理して
5円切手が使用された年代から
誰が絵を描いたのか導く。

第四章は、
推理というより、
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の話。

第五章は、
かかってきた電話の意図を
読み間違えたことから
疑われた人物が
本当は優しい人だったという話。

第六章は、
共犯者の隠し方が上手い。
金を積み込んだ様子が
ないにもかかわらず
バスの中にどうやって
持ち込んだのか?
「大きな荷物」と表現して、
金を持った共犯者自身を
指していたのは
なかなか秀逸だった。

恩送りとは? 

第二章で紗月が病気で倒れた時に
血縁の同居人(幸樹)から
こんな話が出る。
“「紗月からはもう、色んなものをもらってるんだけどな。だけど、どうしてもお礼をしたいなら、別の誰かにしてやればいい
恩送り、という言葉があるそうだ。誰かから受けた恩をその人に返すのではなく、他の人に送るという言葉らしい。”(P.87)


この言葉をきっかけに
紗月は唯と太陽の姉弟に
自分ができることはないかと動く。

wikipediaで
「恩送り」を検索してみると
こんなことが書いてある。
恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。

「恩」とは、めぐみ、いつくしみのことである。
誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということ。

「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具体化することができるとしている。社会に正の連鎖が起きる。

また、「恩送り」と意味が相当程度に重なる別の表現が古くから日本人にはしっかり定着している。「情けは人の為ならず」というものである。

「情けは人の為ならず」とは「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる(だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味の表現である。


「情けは人の為ならず」は
そういう意味だったのか。
てっきり、
人に情けをかけてはいけないことだと
勘違いしていました・・・。


第六章で
陣内が「初対面の俺に、
どうしてそこまでする」と
疑問を投げかけられた紗月は
こう答えた。
“「これまで私は兄や母、他にも多くの人から、たくさんの恩を受けてきました。たとえば私が物事を注意深く観察するのは兄の影響です。その兄はボランティアで知り合ったおばあさまから学んだらしいです。(中略)みなさんからいただいたご恩がなければ、今の私は絶対にありえません。だからその感謝の気持ちを返したいと、日頃から思っています。それを実践しただけです」
「それが俺に何の関係があるんだ」
誰に恩返ししても、いいじゃないですか」”(P.298)


紗月の言葉に
はっとさせられる。
俺は誰かのために
こんなに優しくできるだろうか。

何か動きたくても
俺はすぐ理由をつけて動かない。
時間がないから、とか
お金がないから、とか。
そうして結局何もしないで
ネットで匿名で
言いたい放題の毎日。

そんな俺でも
今すぐできる恩送りは
仕事を頑張ることだろう。
誰かの手に渡る
その商品を丁寧に作り
お客様に届けることで
実践していきたいと思う。

このクソブログも
もとはといえば
本の内容を
もっと知って欲しいという
思いから生まれたもの。
ここを見てくれた誰かが
「ああ、そういうことか」と
新しい発見や
新しい疑問を見つけてくれたら
それで役にたっているのかな
・・・と思っちゃったりして。

欠点の項目に書いたが
成子の名前が出た時に
「苦々しい表情を浮かべている」とある。
これは成子が不愉快で嫌いだ
ということではない。
作者の誤用です。(早く直せ)

本当は「辛い表情」という
意味にしたかったのだろう。
つまり・・・
成子はすでに亡くなっている。
成子の観察力は
幸樹に受け継がれ、
幸樹から紗月に受け継がれ・・・

そして
この物語の最後は
こんな言葉で締めくくられている。
たくさんの人に助けてもらって、紗月はようやく生きてきた。だから誰かが困っていたら、自分がしてもらったように力になりたいと思う。兄は成子に深い恩があると言っていた。その成子もまた、誰かに助けられたはずだ。そしてその人も、他の人にきっと。
誰かを思う気持ちは、周りまわっていく。それはいつか、自分や周囲の人たちに返ってくる。甘い考えなのだろうけど、紗月はそう信じたかった。そして自分のところに戻ってきた恩は、ふたたび別の誰かに送るのだ。誰かを助けることは多分、そういうことなのだと思う。
”(P.312)




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